銀河鉄道の夜(杉井ギサブロー監督作品)は微妙

原作に比べやはり映画という時間制限がある為に省略、あるいは簡素化されたり、作り変えられている面も多かった。

しかし、映画ならではの映像の美しさや、場面場面にマッチした細野晴臣氏の音楽は感動的なものがあった。又、主人公を人間ではなく猫で表現したことによって、その無表情さからかえって想像力を掻き立てられた面もないとは言えない。カンパネルラが最後にジョバンニに別れを告げて列車から消えるように去っていく後姿と、それを必死で追おうとしても列車のドアを開けることが出来ずカンパネルラに泣きながら、「どこまでも一緒に行くといったじゃないか!」と叫ぶジョバンニの姿は、見ていて胸がいっぱいになり感動した。それはカンパネルラが死者であり、ジョバンニは生きたまま死者の霊たちの乗る銀河鉄道に一時的に乗ることが出来たからだった。原作ではカンパネルラは黙ったまま気づいたら姿を消していて、残されたジョバンニが一人嗚咽するのだったが、アニメの描き方もまた一味違って胸に迫るものがあった。ただ、プリオシン海岸の部分は原作の表現とはかなり違っていた。私は原作を読み、宮沢賢治の描くプリオシン海岸までの道程の風景をありありと頭に思い描いていたので、そこは脚色が多く少しがっかりした。又、ジョバンニの心にある真の孤独感。カンパネルラとも本当には分かち合う事のできない寂しさ、その後列車の乗ってくる船旅中に船が氷山にぶつかって遭難して亡くなった、ジョバンニと同じ年頃の女の子やその弟とも、すぐに仲良くなれるカンパネルラと違って疎外感を感じてしまうジョバンニの心情などはアニメの世界ではほとんど表わされていないと、私は感じた。ジョバンニの孤独な、しかし純粋で汚れのない魂が、たぶん「神?」原作では博士のような人がジョバンニをこの生と死の狭間にある列車てくれたのだと思うが。そして、この列車に乗った事がジョバンニに、この世に戻された時になお一層人の為に尽くそう。という決意を新たにさせることになったのだと思う。しかし、一方でまだ子供である彼がこれからこの世を生きていく上でこの美しく純粋な決意が薄汚い心を持った大人によって何度砕かれることだろう、と思うと辛い気もした。いずれにしろ銀河鉄道の夜のアニメ映画はジョバンニの街の風景、天の川の銀色のススキやリンドウの花の光景など映像としても美しく心に残る場面も数多くあり何度も観たくなる作品だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です